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2018年1月14日説教

説教タイトル:マリアのささげもの
聖書箇所:ヨハネによる福音書12:1-11

今週の論壇はございません。
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2018年1月7日説教

説教タイトル:見えないものに目を注ぐ
聖書箇所  :コリントの信徒への手紙Ⅱ第4章16節~5章10節

本日の論壇はございません。
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2017年12月31日説教

説教タイトル:一つの霊、一つの体
聖書箇所  :コリントの信徒への手紙Ⅰ第12章12~26節


本日の論壇はございません
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2017年12月24日説教

説教タイトル:救い主の誕生
聖書箇所:マタイによる福音書2:1-15

論壇 東方の学者たち
 マタイ福音書2章に記されているキリストの誕生物語に東方からやって来た学者が登場します。昔から3人の博士と言われるのは、赤子にささげた黄金、乳香、没新の3つに合わせたからです。共同訳は、星を見てやって来たということから「占星術の」とつけたのかもしれませんが、ただの学者あるいは博士です。
 「東の方から」とは、遠く東方からということであり、ユダヤ人ではなく旧約と無関係な異邦人であることを意味します。異邦人が生まれたばかりの救い主を拝みに来る姿は、キリストの救いが異邦人、すなわちすべての人に及び、キリストを礼拝するようになることを象徴的に示しています。
 学者は人間の最高の知恵を意味します。人の知恵である学者がみ子を伏し拝む姿は、人の知恵が神の知恵にかなわないことをあらわしています。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さを意味のないものにする」(Ⅰコリント1:18節以下)に通じます。
 「その方の星を見たので」は、星がみ子の誕生を指し示すほど、イエスの誕生の意味は大きいということです。キリストによる救いは、第二の天地創造といってよいほど、被造世界全体に及びます。「時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです」(エフェソ1:10)。
 学者がヘロデのもとを去ったとき、「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた」(マタイ:9)とあります。星は東方で見たきりであったが、退出した後、再びあらわれたのです。ヘロデのところにわざわざ行かせ、旧約を開かせ、預言を確認させたということです。ヘロデの上に神がいることを示しています。支配者ヘロデの上に、人の上に神がおられることを忘れてはなりません。
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2017年12月17日説教

説教タイトル:共にいてくださる神
聖書箇所:マタイによる福音書1:18-25

論壇 イエスの誕生
 キリストの誕生物語は、マタイ福音書とルカ福音書に記されています。読み比べると、まったく違うできごとではないかと思えるほど二つは違っています。マタイは夫ヨセフに焦点をあて、ルカは妻マリアに焦点をあてているためです。また、二人は各々に起ったことを報告し合っていなかったように書かれていることが不思議です。
 けれども、重要な点では一致しています。①マリアが、まだ夫ヨセフを知らないまま、聖霊によってみ子を宿したこと、②この秘密が天使によって知らされたこと、③生まれる子の名前が神によってイエスと決められていたこと、④ベツレヘムで生まれたこと、⑤イエスの誕生が旧約聖書により預言されていた救いの実現であると教えられていること。これら一致により、二つの福音書が同じ神のみ子の誕生を描いていることは間違いありません。
 マタイ福音書は、生まれる子の名前をイエスとしているだけでなく、旧約聖書イザヤ書7:14「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」を引いて、インマヌエルとの呼び名を紹介しています。これは、神に信頼をおかないユダの王アハズに対し、神がユダを守ることのしるしとして「おとめが身ごもって男の子を産む」ことが起る、とイザヤをとおしてアハズに宣言した預言のことばです。
 神を信頼しないアハズ王と正しい人ヨセフではつり合いが悪いのですが、「神は我々とともにおられる」という旧約と共通する神の保護、助け、支えがイエスにおいて実現したことをマタイは強調しています。
 神のみ子がわたしたちとまったく同じ人間になってくださったこと、それによりわたしたちの救い主であるだけでなく、隣人であり友となってくださいました。イエスは、常にわたしたちと共にいてくださる神であり、救い主であり、まことの主です。
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2017年12月10日説教

説教タイトル:人工知能は人を救うか
聖書箇所:コリントの信徒への手紙Ⅰ1:18-26

論壇 科学技術の進歩
 コンピューターの発達はめざましく、わたしが大学生の頃には大型のものが大学に設置され、操作を学ぶ選択科目がありましたが定員以上が申し込む人気科目でした。それから数年後にパソコンらしきものがあらわれましたが、まずワープロが普及し、しばらくしてブラウン管で見るパソコンをみんなが買うようになりました。わたしの家では東京に来て家族用に一台買いました。 今は各自一台ノート・パソコンを持っています。
 コンピューターはますます進化して、電王戦というプロの棋士対将棋ソフトの対決は、人間の勝ち目がなくなったのでしょうか2017年で終了しました。今年有名になった藤井四段も将棋ソフトで腕を磨いたと報じられていました。
 わたしたちの改革派教会には科学を否定的にとらえるという姿勢はありません。世界とその中の諸法則は、神様が創造したよきものであり、科学の発展は、隠されている神の創造のみわざを明らかにしていく人間の大切な役割であるといえます。科学の成果を技術に応用して広く使用することも人間に固有のはたらきです。ただし、原子力を発電や兵器に使用することの是非、遺伝子操作や治療の是非などが議論になることも事実です。産業技術が公害をまきちらす一面もありますが、環境技術によって改善し、克服されつつあることも確かです。原子力発電が今後どのように克服されるのか、わたしたちにはまだ見えないかもしれませんが、その時も必ず来ると思います。
 人工知能は、科学・技術の一つであり、気象予報からセキュリティ・システム、自動運転、自動翻訳機などにいたるまでますます広く使われるようになるでしょう。生活が便利になり、社会が安全になるに越したことにはありませんが、人間の救いは昔も今も変らず必要であるというのが聖書の教えるところです。
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2017年12月3日説教

説教タイトル:長寿の時代に
聖書箇所:コリントの信徒への手紙Ⅱ4:16-5:6

今週の論壇はございません。
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2017年11月26日説教

説教タイトル:神の子たちを一つに
聖書箇所:ヨハネによる福音書11:45-57

論壇 今年のクリスマス賛美礼拝
 12月24日に行う今年の讃美礼拝は例年と違う点があるので説明しておきます。
 これまでは休日(天皇誕生日)である23日の夕刻に、第一部が讃美礼拝、第二部がお茶とサンドイッチの出る交わりの時間という枠組で行ってきました。しかし、今年は23日が土曜日なので、土曜日に讃美礼拝、次の日曜日にクリスマス記念礼拝というように二日続けることを避けました。
それで24日にクリスマス記念礼拝を行ったあと、例年行っているクリスマス愛餐会のときを持ち、2時から3時までを讃美礼拝とすることになりました。また、讃美礼拝後の軽食と交わりの時間はありません。
 24日の全体の流れは次のとおりです。
  10時半 クリスマス礼拝
  礼拝後 写真撮影
  12時半 愛餐会
  2時~3時 クリスマス讃美礼拝
 ぜひ知人・友人に声をかけていただきたいと願いますが、何時に来るようにさそったらよいのかわかりづらいと感じる方がおられるかもしれません。朝から3時までの長丁場はさそいづらいと思う方は、「12時半からのお楽しみ会と讃美礼拝にどうぞ」でもよいし、「2時からクリスマス讃美礼拝に来て下さい」でもかまいません。教会員の中で、時間の都合が合わないなどのためにこれまで讃美礼拝に来づらかった方も、可能であればご出席ください。
 愛餐会後にテーブルの上を片づける時間は余り取れないと思われますから、お菓子や飲み物は通常より少なめにしておいたほうがよいかもしれません。
 今年はいつもと違う全体の流れなので、注意とご協力をお願いいたします。
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2017年11月19日説教

説教タイトル:ラザロ、出てきなさい
聖書箇所:ヨハネによる福音書11:28-44

論壇 聖なる者になれ
 レビ記は、神殿を中心とする祭儀とその規則をとおして、イスラエルに聖なるものになることを命じる書です。
 そのことを教えるために、祭儀を司る大祭司アロンとその子どもたちに起こった悲劇が10章に記されています。
 8章と9章で、アロンが大祭司に任職され、その4人の子どもも祭司として聖別されるのですが、その直後の10章で2人の子が規定に違反したことにより命を取られます。「アロンの子のナダブとアビフはそれぞれ香炉を取って炭火を入れ、その上に香をたいて主の御前にささげたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。すると、主の御前から火が出て二人を焼き、彼らは主の御前で死んだ。」
 神が命を奪った理由について次のように記されています。「あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること、またモーセを通じて主が命じられたすべての掟をイスラエルの人々に教えることである」(10:10)。主のおきてを通して聖と俗、清いものと汚れたものを教えるべき立場の祭司が、任命直後に主と主のおきてを軽視したからです。
 次の11章から16章にかけて、動物、魚類、鳥類などの清いものと汚れたものの区別、出産の汚れと清めの定め、重い皮膚病の汚れ、家屋のかびの汚れ、男女の漏出の汚れなど、今日では意味不明、あるいは理不尽に感じられる規定が続きます。これらの区別は、他の民族の異教的習慣からイスラエルを分離して、神の民に留まらせるためのいわば教材です。
 これらの規定の中に、「あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである。」(11:44)と記して、神に救われた者として自らを聖別することが命じられています。
 レビ記にある儀式律法は今は効力を持ちませんが、キリストの犠牲によって罪の世から救い出された(聖別された)者にふさわしく生きるという根本原理は同じです。
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2017年11月12日説教

説教タイトル:わたしは復活であり、命である
聖書箇所:ヨハネによる福音書11:17-27

論壇 贖罪の犠牲
 レビ記は、献げ物の献げ方を教えることからはじまっています。すなわち、①焼き尽くす献げ物、②穀物の献げ物、③和解の献げ物、④贖罪の献げ物、⑤賠償の献げ物、の5つです。
 その中で特別重要なのが贖罪の献げ物です。はじめに「これは過って主の戒めに違反し、禁じられていることをしてそれを一つでも破ったときの規定である」(4:2)と儀式の目的が記されます。
 その後、「油注がれた祭司が罪を犯したために、責めが民に及んだ場合には、・・・」(3)。「 イスラエルの共同体全体が過ちを犯した場合・・・」(13)。「共同体の代表者が罪を犯し、・・・」(22)。「一般の人のだれかが過って罪を犯し、・・・」(27)というように、違反した当事者ごとに異なる献げ方が規定されています。
 それだけでなく、貧しい者のための軽減措置も書かれています。「貧しくて羊や山羊に手が届かない場合、犯した罪の代償として二羽の山鳩または二羽の家鳩」(7)、「貧しくて二羽の山鳩にも二羽の家鳩にも手が届かない場合は、犯した罪のために献げ物として小麦粉十分の一エファを携えて行き、贖罪の献げ物とする」(11)。
 以上のように、当事者別に、そして貧しい者への救済措置のある献げ方は、他の4つの場合にはありません。律法に違反することは誰にでもあり、誰もが贖罪の犠牲を献げねばならないゆえに、現実にそくした規定になっています。誰もがキリストの十字架という罪の償いを必要としていることにつながっています。
 儀式を司る祭司に向けては「あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること、またモーセを通じて主が命じられたすべての掟をイスラエルの人々に教えることである」(10:10-11)と命じています。律法と儀式をとおして、イスラエルが神により聖別された民であることを自覚させること、ここにレビ記の目的があります。
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