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2016年1月31日説教

説教タイトル:まことの礼拝
聖書箇所:ローマの信徒への手紙12:1-8

今週の論壇はございません。

2016年1月24日説教

説教タイトル:愛を追い求めなさい
聖書箇所:コリントの信徒への手紙Ⅰ13:1-13

論壇 キリスト教の愛
 今日の礼拝は 「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る」(Ⅰコリ13:13)の愛について考えます。
 キリスト教の信仰は神の真実と人の信仰によって成り、希望は神の約束とそれを人が疑わずに受入れることによって成り立ちます。キリスト教における愛も、神の愛がまずあり、それに応えるものとしてわたしたちの愛が成り立ちます。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)は有名なみことばです。「世を愛された」は、過去形で書いてあるので、昔も今も変らず愛しておられるという意味あいではなく、昔あるときに一度愛したというような意味に読めます。事実としては、神は昔も今も変ることなくわたしたちを愛しておられます。しかし、神の愛は何時でも何処でも同じくあらわれているというのではなく、み子において一度、最も強く、はっきりとわたしたちに向けてあらわれたということを強調するために、過去形で「世を愛した」と書いてあるのでしょう。
 神の愛は、神の内に秘められた感情ではなく、み子の十字架という行為においてあらわれました。しかも、わたしたちに命を与えるためです。神とわたしたちとの関係で言うなら、対等な関係ではなく、神と罪深い人間という関係です。また、無償の愛です。父においても、み子においても、わたしたちを救うことを決意して、定めた時にそれを実行することで神の愛があらわれました。
 神の愛とは、神の決意です。わたしたちは、愛は感情や感覚に属するもので、変りやすいものと理解しがちです。しかし、決意し、人を生かすため、犠牲をはらうことで、実行するべきものです。人間同士の結婚も、感情の問題ではなく、生涯をともにするという決意とその実行によって成立します。
 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:12,13)。

2016年1月17日説教

説教タイトル:キリスト教の希望について
聖書箇所:ローマの信徒への手紙5:1-11

論壇 希望について
 東京教会の今年の年間聖句は「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る」(Ⅰコリント13:13)です。先週はキリスト教における信仰について考えました。本日は希望を取り上げます。
 キリスト教信仰は、キリストにあらわれている神の真実がまずあり、この真実を知ってこれに応える神への全き信頼としての信仰です。それゆえキリスト教における信仰は、神の真実とわたしたちの神への信頼からなっているといえます。
 キリスト教における希望も、同じように二つの面からなっています。すなわち、神の約束がまずあり、この約束を受入れて信頼するときに神の約束が希望になります。
 神の約束に対する信頼は、根拠のない信頼ではありません。聖書は救いの歴史を記したものですが、過去の記録というだけでなく、時代を越えて読む者に神の約束への信頼を与えるためのものです。「かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです」(ロマ15:4)。
 創世記12章以下に記されている信仰の父祖アブラハムは、自分の子がおらず、アブラハムが100歳、妻サラが90歳の高齢であったにもかかわらず、「おまえの子孫にこの地を与える」との神の約束を信じました。このことは単に約束を信じたのではなく、神ご自身を信頼したことに他なりません。それゆえ、アブラハムは義と認められました。
 新約聖書に教えられているキリストの教えと出来事も、過去の記録ではなく、読む者に今語りかける神のことばであり、救いの出来事です。キリストの死と復活は、人にとって最後にして最大の敵である死を無力にし、信ずる者を死から命へと救い出すための神の救いの出来事です。また、信ずる者にキリストにある新しい命と生き方があることを示すものです。まことの希望はそれを持つ者に生きる力を与えます。

2016年1月10日説教

説教タイトル:まことの信仰
聖書箇所:ローマの信徒への手紙3:21-31

今週の論壇はございません。

2016年1月3日説教

説教タイトル:信仰、希望、愛
聖書箇所:Ⅰコリント第13章13節



論壇 今年の年間聖句

 新しい年を迎えました。今年は「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る」(コリントの信徒への手紙第13章13節)を年間聖句と定めて伝道と教会形成に励みたいと願います。
 今年は教派創立70周年を記念する信徒大会が5月3日に仙台で開催されるということもあり、キリスト教信仰の基本に立ち返ることがよいと考えました。教会は、昔から信仰と希望と愛を、信仰生活を支える基本原理として重んじてきました。
信仰、希望、愛が記された箇所としては、Ⅰコリント13:13が有名ですが、ロマ5:1-5、Ⅰテサ1:3、同5-8にも三つが出てきます。いずれにおいても、最初に信仰が記され、希望と愛がそれに続いています。ただしⅠテサロニケでは愛、希望という順序になっています。希望と愛は一般的な意味ではなく、キリストを救い主として受け入れる信仰に基づく希望と愛の事です。それゆえ、信仰が最初に置かれていることには意味があります。
その意味で、この希望と愛もキリスト教信仰の一部であるということができます。他にも忍耐、慰め、悔い改め、ゆるしなど信仰に基づく大切なこともあるのですが、信仰と希望と愛の三つを信仰生活を支える原理として特に重んじてきました。
 信仰については使徒信条、主の祈り、十戒を教え、これらを実践することで、信仰と希望と愛の内に信仰者が積極的に生きることができるように努めてきました。
なお、十戒は旧約において神が与えたもの、主の祈りは新約においてキリストが与えたものであり、使徒信条は神を讃えるために教会が生み出したものです。それゆえ、この三つをよく理解して実践していくなら、そこには、神と教会との豊かな交わりが実現するということができます。
 信仰と希望と愛、この基本に立ち返って一年を過ごしていきたいと願います。