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2016年3月27日説教

説教タイトル:復活の希望
聖書箇所:ルカによる福音書23:50-24:12

論壇 復活のキリストと共に
 今日の礼拝はキリストの復活を記念するイースター礼拝です。
 キリスト教における救いを福音といいます。この福音について聖書は次のように書いています。「わたしがあなたがたに告げ知らせた福音をもう一度知らせます。・・・すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと・・・」(Ⅰコリント15:1以下)。
 キリストが罪のために死んだことと復活したこと、これが福音であり、キリスト教における救いの中心です。
 このキリストの死と復活は、キリストの身に起こったことですが、わたしたちのために起こったことです。このことを、聖書はわたしたちが「キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる」(Ⅱテモテ2:11)と、不思議な書き方で教えています。キリストは、2000年前、日本から遠く離れたエルサレムで死んだのですが、わたしたちもこのキリストと一緒に死んだ、そう書いています。このような書き方は、ロマ書6:3以下に繰り返し出てきます。そこでは、わたしたちがキリストと共に復活する、ということも同じく強調されています。すでに「キリストと共に復活させられた」と書くことさえあります(コロサイ3:1)。
 時間と空間を越えて、十字架におけるキリストの死を自分の死と同一視し、キリストの復活も自分の復活と同一視するようになること、ここにキリスト教における信仰の役割があります。
 イースター礼拝の意義は、特にキリストの復活を喜び、感謝することにあります。死に支配されたキリストではなく、死に勝利したキリストを仰ぎ見る礼拝であり、生けるキリストの中に救われた自分自身を見ることができるからです。
 それゆえ、生きる力を得るとともに、自分の生き方をかえりみることにもなります。これがキリストの生き方としてふさわしいであろうかと。

2016年3月20日説教

説教タイトル:十字架のイエス
聖書箇所:ルカによる福音書23:44-56

論壇 神殿の垂れ幕
 今週は受難週であり、キリストの苦難とわたしたちの救いを特別な思いで過ごすときです。
 ルカ福音書23章44節以下を読むと、12時から3時間、太陽は光を失い全地が暗くなったとあります。この暗闇は全地を覆う神の裁きをあらわしています。
 この後、「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」とあります。この垂れ幕は、神の臨在を象徴する至聖所と呼ばれる場所を囲む幕であり、神と人をへだてる罪を象徴していました。垂れ幕が裂けたことは、罪というへだてが無くなったこと、罪の力が無力になったことを意味します。この宗教的な、あるいは神秘的なできごとがキリストの十字架の苦難において起こりました。
 キリストの十字架は、わたしたちの罪を償う身代わりの死であり犠牲です。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」(ロマ3:23-25)。
 この十字架の死こそが、わたしたちを罪と死の支配から解き放ち、神との関係を修復し、わたしたちを神の子とする救いのできごとでした。それゆえ、神の救いを象徴的にあらわした聖餐式において、十字架におけるキリストの体と流された血をあらわすパンと杯にあずかり、救われていることを確認し、感謝しているのです。
 キリストは、十字架で償いの死を遂げただけでなく、三日目に復活しました。この復活は、キリストのもとに死を克服する永遠の命があることを示すものです。わたしたちは、キリストを救い主と信じたときから、信仰によってキリストにあずかり、永遠の命に生きる者に変えられています。

2016年3月13日説教

説教タイトル:十字架からおりてみよ
聖書箇所:ルカによる福音書23:26-43

論壇 福島について
 福島県いわき市出身の社会学者で、福島大学特任研究員である開沼博氏による「廃炉、ネガティブだけど面白い」が3月9日の朝日新聞朝刊に載っていました。
 福島や原発をめぐる状況が非常に複雑であるため、福島の「現実」と「イメージ」のかい離がはなはだしい。ステレオタイプやアナロジーが横行しているためだ。「福島ではチェルノブイリと同じ事が起きる」「水俣のように政府と企業、学者が結託して被害を隠蔽している」などは、一定程度役立つが、現状認識を歪めもする。事実増えているのは、糖尿病など生活習慣病子どもの肥満、親のうつ傾向などの深刻な健康問題。以前からあった地方の衰退が3.11以降急激に進んでいることも事実。しかし、住民自治の新しい形、若い人たちの活躍など新しいことが起こっている。
 廃炉作業は最もネガティブなものの一つであるが、廃炉現場では大学でロボットを研究する学生が積極的に廃炉に貢献しようとしている。また、現代の科学の粋がここに集められている。原発のある双葉町において、「震災以降時間が止まっている」というのは大うそで、行くたびに風景が変り、道路は渋滞し、家や施設の新築もあって、昭和的なエネルギッシュがある。廃炉は圧倒的にネガティブだが、圧倒的にチャレンジングである。
 開沼氏が「原子力ムラ」ということばを使って福島原発を社会学の立場で研究しその成果をまとめた直後、地震がおこりました。その成果が『フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたか』(2011 青土社)です。昨年には『はじめての福島学』(イースト・プレス)を出版。震災後、事実を知らないままステレオタイプに論じられることは福島にとっての「迷惑」。最低限の事実をデータによって提示するために著作したとのことです。福島産の農産物は危険だと思っていましたが、わたしはこだわらないことにしました。何が本当なのかはわからなくても、知ることと判断することはわたしたちの務めです。

2016年3月5日説教

説教タイトル:十字架のイエス
聖書箇所:ルカによる福音書23:26-43

論壇 改革派教会の震災支援について
 東日本大震災から5年が過ぎようとしています。改革派教会の震災支援について、わかっていることを報告しておきます。
 大会の執事活動委員会は震災直後の第一期募金に続く第二期募金を行って震災支援を続けてきましたが、昨年10月の定期大会における報告によれば、今年の6月末をもって終結する予定です。6月で一区切りつける理由は、改革派教会と関係のある宣教師団体を中心とした「ミッション協力協議会」が終結することにあります。
 ミッション協力協議会については、今年の『まじわり』2月号に協議会の始まりと活動報告が載っています。この協議会は各ミッションと関係する外国教会からの献金を受け取り、協議会の活動資金にするとともに、改革派教会の震災支援活動に献金して、これを支えてきました。『まじわり』に記されているように、2014年7月からの1年間に、東仙台教会サクラハウスに1700万円、のぞみセンターに約1270万円、チーム陸前高田に360万円献金をしています。この協議会からの献金に支えられて各支援活動が続けられてきたのですが、協議会が保有している献金が6月までには底をつくことが分かっています。このこともあり、大会執事活動委員会はこれまでの支援活動を終結すると判断したようです。
 サクラハウス、のぞみセンター、チーム陸前高田は、それぞれどのような方法で活動を続けるかについて考えているところです。のぞみセンターはOPC所属伝道所となって活動を継続します。サクラハウスは支援者の熊田君がラーメン店を経営して自給し、続けていこうとしています。
東日本大震災現地支援ニュース「共に生きる」や『まじわり』連載の震災支援報告には、「6月」ということばが出てきます。この事情を頭に入れて読むと、訴えていることの意味がわかってきます。これからの支援活動のためにお祈りください。