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2016年6月26日説教

説教タイトル:成長し、救われるために
聖書箇所:ペトロの手紙Ⅰ2:1-8

論壇 わたしたちの成長
 ペトロはこの手紙で、あなたがたは神の生きたことばによって「新たに生まれた」のであると書きました(1:3)。続けてあなたがた生まれたばかりの赤子は、混じりけのない霊の乳を求めなさい。その乳によって成長し、救われるためです、と2:2で教えています。いわば生まれたばかりの赤子であるあなたがたが成長するようにとペトロは祈り願って、この手紙を書いているのです。
ただし霊の乳とは何かを明示していません。そのかわり、「この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです」(Ⅰペト2:4)と書いています。これは、霊の乳とは何かというより、それを誰から受けるのかに教えの中心があることを示しています。すなわち、主イエス・キリストのもとにわたしたちを養い育てる乳があるということです。
 成長する赤子と乳を用いた比喩ですが、この比喩には、その乳は母親ではなく主キリストのもとにあるという意外感を持たせるおもしろさがあります。
 なぜキリストなのでしょうか。キリストこそが生ける石であるからです。この石は、家を建てる大工からは捨てられたのですが、家が完成してみると、神によって、隅の親石、かなめ石としておさまっているという不思議な石です。
 この石と大工と家のたとえは、神の国の秘密をあらわしており、人に捨てられた十字架のキリストにより、神の国(神の救い)が実現したことをあらわしています。
 あなたがたも石として用いられ、霊的な家に造り上げられなさいとペトロは勧めています(2:5)が、霊的な家とは教会、あるいは神の国のことです。成長するようにとのペトロの勧めは、個人としての成長というより、皆が互いに愛し合うことで、教会全体が成長することです。聖徒の交わりが豊かになり、個々人が、そして教会全体が成長することを祈りましょう。

2016年6月19日説教

説教タイトル:清い心で愛し合う
聖書箇所:ペトロの手紙Ⅰ1:17-25

本日の論壇はございません

2016年6月12日説教

説教タイトル:むなしい生活からの救い
聖書箇所:ペトロの手紙Ⅰ1:17-21

論壇 参議院選挙の機会に
 参議院選挙が7月10日に行なわれることになりました。現在の日本は国民主権を前提とする民主主義です。それゆえ、選挙によって国民の代表としての国会議員を選び、議会をとおして政治を行なうことになっています。
 国民としての義務をはたすことはキリスト者の社会的責任の一つです。それゆえ、今回の参議院選挙においても、その責任を果たしてください。法律の改正により、今回の選挙から18歳以上に選挙権が与えられることになりましたから、若い方が自分の将来のために議員を選出する可能性が広がりました。政治のことは分からないから投票しないというのではなく、政治の素人である各人が自分の理解した範囲で判断して代議員を選ぶのが、現在の制度です。それゆえ、わからなくてかまわないのです。
 どの政党や候補者に投票するかは自由であり、キリスト者であればこの政党、この候補者ということはありません。ただし、政党や候補者の実績や公約について吟味することは必要です。そのためにも、自分はどのような社会を望むのかを、自分自身に問うてください。男女共同参画社会、高齢化社会、保育施設不足、デフレ経済、国際紛争、安全保障、自国中心主義、エネルギー問題など、さまざまなテーマからいくつかを選んで自問自答してみてください。
 あるテーマに関心を持ったときに、啓蒙的な本を何冊か読んで考えを整理することは大切です。自衛隊は憲法第九条違反かどうかが以前は論争点でしたが、1994年に村山首相を党首とする社会党が政権を取り、自衛隊は合憲であると認めた頃から事情が変りました。今は合憲か違憲かは論点になりません。その頃、九条とは何であるのかと自分自身で問い直したことを思い出します。機会をとらえてあるテーマを追ってみることは有益です。そのさい、根本的に問い直してみることがよいように思います。

2016年6月5日説教

説教タイトル:聖なる者となる
聖書箇所:ペトロの手紙Ⅰ1:13-21

論壇 聖なる者となる
 本日の聖書箇所ペトロⅠ1:16に「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と教えられています。
 この言い方は、レビ記11:44,45に「わたしはあなたたちの神、主である。あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」のほか、レビ記では19:2、20:7、8:26、22:32など繰り返し出てきます。
 レビ記11章では、様々なものに清いものと汚れたものの区別をつけて、食べてよいものと禁じられたものを分けています。地上の動物、水中の生き物、鳥類、昆虫に区別をつけ、ラクダ、岩だぬき、野ウサギ、うろこのない水中の生き物(ウナギやタコなど)、ハゲワシ、コウノトリ、爬虫類など、細かく規定されています。
 12章では、女性の月経や出産の血が汚れたものとされ、家にとどまらねばならないとされています。13章には重い皮膚病の汚れが細かく規定されてもいます。
 レビ記には、今日の感覚では無意味であったり、差別的な区別と思われるものが多々あります。ご自身で読んで確かめてください。
 今日のようにものを客観的に見るのではなく、ものには宗教的ななにものかが表出しているという見方が広くあった時代に、その見方を用いて、神の民に聖なる者であれ、と教える教材のようなものでした。神の指示を守ることで、神に従う者であり、神の清さにあずかっていることと、それにふさわしい生活を送ることを意識づけるためのものでした。週の第7日目を主の安息の日とし、神礼拝のために用いよとの安息日規定もこれと同じです。
 今は、キリストを受け入れる者は、キリストの血のよって(死によって)罪から清められているということがはっきりしました。それゆえ、これらの聖別の規定に従う必要はなくなりました。キリストを思い起こせば、自らの生き方を吟味することができるからです。