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2017年3月26日説教

説教タイトル:わたしは死ぬばかりに悲しい
聖書箇所:マタイによる福音書26:36-46

論壇 イースター算定
 今日の西暦につながるキリスト誕生を起点とする年の数え方(AD)が、6世紀、エクシグウスによって提唱されたことを、先週の論壇に記しました。この表記を一般にキリスト紀年と呼びます。
 キリスト紀年の提唱は、復活祭(イースター)と関係しています。325年のニケア会議において、イースターは「ユリウス暦における春分の日である3月21日を過ぎた最初の満月に続く日曜日」と決められました。これにより、3月22日から4月25日の間を動く移動祭日です。
 イースターを算定するには、当時教会が使用していたユリウス暦における3月21日が重要です。ユリウス暦とは、皇帝ユリウス・カイザルが紀元前45年に定めた太陽暦であり、1年を1月1日にはじまる365日と1/4日とし、4年毎にうるう年(1年366日)をおくというものです。そして、1年を12ヶ月、1週は7日としました。このユリウス暦は、今日使用しているグレゴリウス暦の基礎となる大変優れたものでした。
 ただし、太陽暦であるユリウス暦の中に、「満月」という月を基準にする太陰暦が入り込んでいます。それゆえ将来のイースターを算定することがとても困難で、算定そのものが常に論争の的になり、84年、95年、112年、400年周期の計算などがあらわれました。教皇ヒラルス(461-468)は、新月が同じ日になる19年周期と同じ月の曜日が一致する28年周期をかけた532年周期の復活祭暦を提示しました。この復活祭暦を採用するに際し、エクシグウスがキリスト紀年を提唱したのです。
 教会暦にしたがって生活するキリスト教徒にとって、四旬節(受難節)、受胎告知日、ペンテコステなどの重要な移動祭日を決める基準となるイースターの算定は重要なことでした。
 また、先々のイースターを算定することは、ただ過去を振り返るだけでなく、将来を見据える姿勢のあらわれでもあります。時をどうとらえるかは、人間にとって重要なテーマです。

2017年3月19日説教

説教タイトル:主のことばを信じる
聖書箇所:ヨハネによる福音書4:43-54

論壇 西暦について
 皇室典範附則により天皇生前退位に道が開かれるようです。元号についてもいろいろと議じられるのでしょうが、西暦についての理解も大切です。
 『世界史における時間』(佐藤正幸 世界史リブレット 山川出版)は、安価(729円)で、他の紀年についてや日本における西暦受容の経緯なども記されていて有益です。『西暦はどのようにして生まれたのか』(H・マイアー 訳野村美紀子 教文館)他もあります。
 キリスト誕生年を起点として数える方法(AD)は、修道士ディオニシウス・エクシグウス(470-544)が525年に提唱したことではじまりました。4、5世紀ごろの教会は、大迫害者皇帝ディオクレティアヌスが即位したAD284年を起点として年を数えていたのですが、エクシグウスが、迫害者によるより、キリスト誕生を起点とすることを提案しました。この方法が教会で広く使用されるようになるのは10世紀以降、一般の人が使うようになったのはヨーロッパでも16世紀に入ってからだそうです。
 キリスト前(BC)を最初に使ったのはイングランドの修道士ベダ(673-735)であり、この数え方が広まったのは18世紀。
 アキテーンのウィクトリウスが457年に「受難後」による年数計算を行いましたが、広まることはありませんでした。
 聖書には、キリストがすべてを統治し、再臨によって世が終わるという教えはあっても、キリストを中心に年を数えるという考えはありません。もしあれば、イエスの誕生年や、イエスとパウロの年代的関係などが正確にわかったのではないかと思います。
 どの宗教、民族、共同体にも、大切なできごとを起点にした年の数え方があるようです。自分の数え方が絶対と主張して争うのは無意味であり、便利なものを使えばそれでよいとわたしは考えます。インターネットのウィキペディアで「西暦」を引くと起源についてほぼ同じ事が書かれています。

2017年3月12日説教

説教タイトル:刈り入れは近い
聖書箇所:ヨハネによる福音書4:27-42

今週の論壇はございません。

2017年3月5日説教について

本日、録音機材の操作ミスにより説教が録音されていませんでした。申し訳ありません。
論壇のみ記載いたします。

論壇 大震災6年目
 今週の土曜日に東日本大震災から6回目の3月11日がやってきます。テレビ・ニュースによると、神戸の震災においては、6年後には仮設住宅に住む方はいなかったが、東北にはいまだに3万5千人が仮設住宅に住んでいるということです。
 テレビに新居で新生活をはじめた方のことが取り上げられていました。被災後しばらくは家族を亡くすなどした悲しみを忘れることはできないと思っていたが、徐々に忘れて日常生活を取り戻しつつある。しかし忘れることの罪悪感もあるとのことです。また、墓参りなどの機会に深い悲しみが迫ってくるのだそうです。時とともに忘れることは人にとって自然なことですが、忘れないことの大切さもあり、震災遺構を残す取り組みもなされています。被災した方々には、忘れることと忘れないでいることの葛藤があるように思います。その心境は、第三者には容易には推し量れないことです。
 改革派教会は昨年6月で教派としての支援を終えました。ボランティアによる支援と、行政による復興事業は分けて考えねばなりませんが、忘れてよいということではないと思います。震災を目の当たりにして考えたこと、そこから学んだことを各々が生かしていくことが求められています。あの時、何を考え、何を自分の課題としたかを思い起こしてみてください。
 原子力発電所の事故による被災地と、地震・津波による被災地とでは、復興の状況が違うことは明らかです。汚染地域にいた方たちは、文字どおり故郷を追われることになりました。今も避難している方が大勢います。避難指定などの解除が報道されますが、解除したならそれでコミュニティーが戻るということではありません。
 原子力発電所は、すべて停止していた時期もありましたが、稼動しはじめています。電気の無い生活は考えられないにしても、今後のあり方については、人まかせにせず、各自が考えるべきことです。