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2019年2月3日説教

説教タイトル:教会の誕生
聖書箇所:使徒言行録2:1-13

今週の論壇はございません。
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2019年1月27日説教

※1月20日は機械の不調のため録音できていませんでした。申し訳ありません。
説教タイトル:心を合わせて祈る
聖書箇所:使徒言行録1:12-26

論壇 長老主義教会
 本日の会員総会において、長老・執事の改選と新任執事の選挙を行います。この機会に教会と役員について記します。
 今日につながる新約の教会は、使徒言行録2章に記されているように、聖霊降臨によって誕生しました。わたしたちの教会は、長老主義という政治形態をとり、宣教長老(教師であり牧師)と治会長老が協力して教会を治めることになっています。この制度は、宗教改革においてローマ・カトリックの監督制教会を否定してあらわれたもので、それまではなかった形態です。
 ただし、使徒言行録に見られる初代の教会が監督制であるということもできません。パウロは宣教して信者の群れが生まれると、すぐに信者の中から 長老(監督)を選んで群れを任せ、次の町へ伝道のために去っていきます。結局、使徒言行録の教会は使徒によって治められていた特殊な教会であるといえます。この使徒教会から、歴史的にまず監督制の教会が生まれ、宗教改革時代になって使徒の教会を模範にした長老制の教会が誕生しました。
 カトリックの監督制と長老制との顕著な違いは、カトリックにおける役員(司教・司祭・助祭)には神学校にて神学を修了した者が当たるのに対し、長老制においては一般の信徒の中から治会長老と執事という役員が選出されることにあります。パウロが行ったとおりのことのようですが、それまでの歴史から考えるとありえないことでした。
 これを可能としたのは、母語への聖書翻訳により信徒が聖書を直接読み、信条により聖書の基本的教えを一般信徒が理解したことで、教会全体の判断力が増したこと、そして説教と教会の言葉がラテン語から母語に変ったことです。これらにより、みことばの教師と信徒の中から選出された役員が、聖書・信条・教会規定などをもとにして教会統治において協力することができるようになりました。これらが長老制という教会統治を可能にしているといえます。
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2019年1月13日説教

説教タイトル:わたしの証人となりなさい
聖書箇所:使徒言行録1:1-11

本日の論壇はございません。
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2019年1月6日説教

説教タイトル:御言葉を宣べ伝える
聖書箇所:テモテへの手紙Ⅱ4:1-8

今週の論壇はございません。
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2018年12月30日説教

説教タイトル:万民のための救い
聖書箇所:ルカによる福音書2 : 22 - 38

論壇 一年を終えるにあたり
 今年最後の礼拝となりました。
 今年は12月に日本聖書協会から『聖書 聖書協会共同訳』が出版されたことで、日本の教会全体にとっての節目の年になりました。また、新翻訳聖書出版に合わせて行われた9月の東部中会信徒修養会において、東京教会は当番教会の責任を果すことができました。翻訳聖書は、信徒の信仰生活が守られるために、また自分で聖書を読んで解釈する権利があること、すなわち聖書の個人解釈権のためにも不可欠です。それゆえ、個人解釈権は40周年宣言聖書論の大切な主張点です。
 聖書の正典性(権威性)と文献性(歴史性)の区別も聖書論が強調したことであり、よりよい聖書解釈のために必要です。昨今取り上げられているセクシュアル・マイノリティの問題は、40周年聖書論の応用問題であるといえます。このようなこともあり、新しい翻訳聖書の出版は聖書論を学び直すよい機会です。
 国立聖書教会との伝道協力については、よい実りを結びつつあります。国立への献金について、来年は20万円です。なお、来年の国立との合同修養会は、2月24日に国立の当番で行うことになりました。今年2月に合同修養会を行なったところ、9月よりも時期としてやりやすいということでした。献金は来年までですが、今後どのような関係を持つかが課題であることを11月の役員懇談会で確認しました。2月には、今後の協力のありかたについても協議することになると思います。
 今年8月に、東京教会創立の時からの会員であり、教会を長く支えてこられた名誉長老が召されたことはとても残念です。しかし、受洗者と信仰告白を行った契約の子が与えられました。喜ばしいことも悲しいことも同じ神から与えられることを思わないではいられません。
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2018年12月23日説教

説教タイトル:救い主の誕生
聖書箇所:ルカによる福音書2:1 - 21

論壇 キリストへの信頼
 本日はクリスマス記念礼拝です。また、礼拝の中で信仰告白式を行います。
 信仰者の子どもは、生まれてしばらくすると幼児洗礼をうけて未陪餐会員(聖餐にあずかれない教会員)となります。分別年齢に達して自分の意志でキリストを救い主と受入れるとき、その信仰を神と教会の前で公に表明し、陪餐会員となります。いわば一人前のキリスト者になるということであり、聖餐にあずかることができるようになります。
 信仰とは、イエス・キリストにおいてご自分をあらわしておられる神を知り、神として受け入れ、信頼することです。
 また、キリストは、神が人となったお方ですから、神を知り、受け入れ、信頼するとは、キリストを神とし、心から信頼することであるといえます。
 マリアは、約束の救い主を自分が生むことを、天使ガブリエルを通して告げられたとき、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と語り、全面的に神を信頼して自分自身を差し出しました。夫のヨセフも、マリアの身に起こったことを受け入れ、その責任を果たしました。
 羊飼いは、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と告げられると、「『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」。天使を通して告げられたことを疑わず受入れ、すぐさま会いに行くところに、羊飼いの信仰があらわれています。
 神への信仰は、置かれた立場と状況により違った形であらわれるのですが、疑うことなく信頼する点で一致しています。
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2018年12月16日説教

説教タイトル:悪は悪、善は善なのか
聖書箇所:ガラテヤの信徒への手紙5:16-26

論壇 『聖書 聖書協会共同訳』
 『聖書 聖書協会共同訳』が出版されました。「続編」の付いているものと、付いていないものがあります。続編とは、正典(聖書)ではないが旧約と新約の間を埋める歴史的価値のある書です。
 口語訳から新共同訳になったときに、ペテロがペトロ、カペナウムがカファルナウム、使徒行伝が使徒言行録というように固有名詞や書名がだいぶ変わりましたが、今回そのような変更は基本的になく、新共同訳の表記を踏襲しています。段落ごとの小見出しも、一部新共同訳と違いますがついています。引照聖句に加えて、注を付けて、定本に関する説明、直訳、別訳、補足などを入れています。巻末に聖書地図や用語解説を付けたのは新共同と同じですが、地図はカラー、用語解説は若干詳しくなっています。
 今回出版の聖書は、中型に引照聖句と注を付けたため、本文の活字が小さく、読みづらくなりました。今後、引照聖句の欄を取って活字を大きくしたもの、小型、大型、講壇用、新約のみなど、いろいろな聖書が作られるはずです。実際に教会で使われるようになるのは、それからだと思います。
 ロマ書1:17「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」(新共同訳)が「神の義が、福音の内に、真実から信仰へと啓示されているからです」に変りました。神の義が「神の真実から人の信仰へ」と啓示される、という解釈を取ったことによります。
 レビ記13章の、口語訳「らい病(ハンセン病)」、新共同訳「重い皮膚病」と訳されたツァラアトが「規定の病」となりました。マルコ1:40なども同じ。聖書が描く当時の地域にはハンセン病は伝わっておらず、レビ記の記述がハンセン病に当てはまらないこと、ツァラアトの語源も意味もわからないことゆえ、聖書が「定めている病」の意味で「規定の病」としています。(巻末の用語解説参照)
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2018年12月9日説教

説教タイトル:神はいるのか
聖書箇所:創世記1章

論壇 神と科学
 神は本当にいるのか。科学の時代に神は生き残ることができるのか。そう考える方がいると思います。
 講談社から、ブルーバックスという科学専門の新書が出ており、昔から理系の高校生がよく読んでいました。今年の7月に、ブルーバックスから『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキンスまで』(三田一郎)が出版されました。著者は、名古屋大学名誉教授で、いくつもの賞を取った宇宙物理学の学者にしてカトリックの助祭です。幼児洗礼を受けてはいたが、宗教に関心がなく、研究に没頭していたとのこと。しかし、50代にさしかかったとき、宇宙のはじまりであるビッグバン(宇宙の瞬間的発生と大膨張)の中でおきていたことを研究する中で、宇宙をつくる神の意志を感じて、神学を学び聖職者にもなったという科学者です。
 高校生から「先生は科学者なのに、科学の話の中で神を持ち出すのは卑怯ではないか」と質問され、科学と神について相いれないとする考えにどう答えたらよいかがテーマになったそうです。
 この本は、キリスト教と聖書を概説した後、コペルニクスからはじまって、宇宙についての最新の学説とおもな学者を追っていきます。ビッグバン理論は、真空のエネルギーをもとに、光速をはるかに超えるスピードで宇宙が生成して膨張したこと、この大膨張は宇宙全体が一様に膨張したのではなく、泡のように局所的な膨張が無限に起き、その泡それぞれが一つの宇宙になるので多数の宇宙を作ること、ここまで進んでいるのだそうです。
 学問として宇宙誕生を徹底的に突き詰め、この美しい物理法則を作った神をあがめる。神が創造したとは、人類は決して宇宙を解明できず、無限に探求し続けるということ。これが三田氏にとっての科学と神の関係です。ホーキンスは無神論者と言われますが、晩年は物理法則を誰かが意志をもって作ったと考えたかったようです。
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2018年12月2日説教

説教タイトル:人間は不思議だ
聖書箇所:詩編8編

論壇 人間は不思議だ
 今週から23日までをクリスマス伝道礼拝とし、初心者にも理解できる礼拝を行います。
 キリスト教における人間についての教えは多面的ですが、一般の人々には誤解があるかもしれません。それは、人間をすぐ罪人扱するので、人間を否定的に見ているという誤解です。
 クリスマスは救い主であるキリストが誕生したことをお祝いする日であることはよく知られています。けれども、聖書は、誕生から十字架の死と復活までのキリストの生涯全体が救いのできごとであると教えています。それゆえ、神のみ子の誕生は十字架の死を目指すものでした。
 み子が命を捨てる覚悟でお生まれになったことが本当であれば、神はそれほどにわたしたちを愛しておられるということです。神の愛を受けるに価するほどわたしたちは貴い、これがキリスト教の人間理解の根本です。
 詩編8編の6節には、神による人間の創造を「神に僅(わずか)かに劣るものとして人を造り」とあります。
 神と人の差はわずか。これが神が創造した人間の立場です。それゆえ、神が創造した世界が人の手にゆだねられたのです。
 今年のクリスマス伝道礼拝の全体テーマは「人間は不思議」です。人間の体、心、ふるまい、知性など、どれをとっても不思議なことがたくさんあります。その原因は、つきつめるなら、人は神にわずかに劣るものでしかないからです。その中でも、神を求め、神とやり取りしたいという欲求、願いを持っていること、これほど不思議なことはありません。世界中、どこに行っても、神々が祭られています。先日、秋田のナマハゲが文化遺産になったとのニュースがありました。ナマハゲは、来訪神というのだそうです。神なしでは生きられないのが人間です。
 今年のクリスマスは、神との関係でわたし、また人間を考えてみてはいかがでしょうか。

~お知らせ~
東京教会ホームページが新しくなりました。(https://www.rcj.gr.jp/tokyo/) あるいは「改革派東京教会」で検索してください。
説教は、これまで通り(https://tokyochurch.blog.so-net.ne.jp/)でも、新しいホームページからでも聞くことができます。
手違いにより、旧ホームページ(http://www005.upp.so-net.ne.jp/tokyo-ch/)がまだ残っています。ご容赦ください。

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2018年11月25日説教

説教タイトル:わたしに従いなさい
聖書箇所:ヨハネによる福音書21:20-25

今週の論壇はございません。
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