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2018年7月22日説教

説教タイトル:彼らを守ってください
聖書箇所:ヨハネによる福音書17:6-19

論壇 半年を振り返って
 半年の歩みが過ぎ、本日は半期を終えての会員総会をおこないます。
 経済的には、ほぼ予算どおりの献金がささげられました。国立聖書教会への献金も順調です。国立は、今年になって受洗者、加入者などが与えられ、礼拝主席が30名を超えることもめずらしくないとのことです。年ごとに明るい報告を聞くことができ、喜ばしい限りです。じきに経済的に自立するめどが立つのではないかと思います。どうか続けてお祈りください。
 礼拝出席などについては、近年と同じく高齢であることや体調不良などにより、会員の出席が弱くなっています。これは仕方のないことです。一方で客員や求道者の出席が毎週途切れることなくあること、入門クラスも毎週4~6名の参加があることなどは、感謝すべきことです。20年近く中山奥行名誉長老が求道者会・入門クラスに出席してよい助言をし、求道者のために祈ってこられましたが、しばらく前にそろそろ遠慮したいとのことで退かれました。これまでのお働きに心から感謝いたします。
 東京教会は、9月17日の中会修養会の実行委員を行うことになっています。昨年から、毎月修養会委員会を開いて準備をしてきました。今日の会員総会にて修養会委員会による報告と説明があります。ご協力をお願いいたします。8月26日の全員協議会と直前の9月16日も修養会準備にあてています。
 伝道については、伝道委員会が中心です。新しい試みとして、フェイスブックによる東京教会の紹介を始めました。フェイスについて、わたしにはよくわからないところがあるのですが、青年だけでなく多くの方が使っているコミュニケーションのための道具なので、何でもやってみよう精神ではじめました。
 喜ばしいことに、教会に幼い子が増えてきました。出産予定の方もおります。教会に多くの子どもがいることは幸いなことです。子供にも個性がありますから、比べず、成長を喜びましょう。

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2018年7月15日説教

説教タイトル:父よ、時がきました
聖書箇所:ヨハネによる福音書17:1-5

論壇 豪雨被害について
 5日から降り始めた豪雨により、西日本の広い範囲で土砂崩れや洪水、土石流などによる大変な被害が出ました。
 14日の時点で、死者200名、行方不明35名。家屋全壊200戸以上、半壊・一部破損750戸以上、床上・床下浸水26,000戸以上。まだ不明のところもあるとのことです。
 大会執事活動委員会から、10日と14日に被害状況報告が送られてきました。掲示板に貼ってあります。教会に直接的被害はなく、教会員については、床上浸水の被害を受けた方がおられますが、ケガをしたり亡くなったりした方はおられないようです。
阪神淡路大震災や東日本大震災の経験があり、大会執事活動委員会による教会内の被害状況の把握、連絡が整ってきたように思います。
 被災者支援のためのボランティアについては、関教会の橋谷英徳先生が公的機関と連絡を取って、午後に公的支援の届かないところに出かけているとのことです。今のところはそれくらいです。関教会は市役所などとのつながりがあるようです。
 ニュースを見る限り、被災者の避難生活や後かたづけなどに困難が多々あることがわかります。教会としての独自の支援については検討中のようですが、支援物資ひとつとっても、集まったものを仕分けて届けることの現実的困難があります。公的機関による支援がノウハウを一番蓄積しているようです。それらを使って支援することが現実的です。これなら、各個教会や個人の判断で自由に支援することができます。
 教会や教会員が直接被害届を受けた場合とそうでない場合、緊急性、教会の受入れ態勢などを考慮し、公的機関をとおしての支援も教会の働きの一つだと考えます。
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2018年7月8日説教

説教タイトル:勇気を出しなさい
聖書箇所:ヨハネによる福音書16:25-33

本日の論壇はございません。
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2018年7月1日説教

説教タイトル:悲しみが喜びに変わる
聖書箇所:ヨハネによる福音書16:16-24

論壇 今週の婦人会読書会
 今週木曜日の婦人会主催の読書会で『キリスト教は女性をどう見てきたか』(H・キュンク)の紹介をします。研修所で本書をテキストにした講座が終了することを知った婦人会役員から、7月の婦人会読書会にて1回20分で全体をまとめ、出席者が理解できるようにすること、と依頼されました。無理な注文なのですが。
 著者のキュンクは、カトリック教会の第二ヴァティカン公会議顧問として招聘された気鋭の神学者でしたが、女性を抑圧して止まない教皇とカトリック教会を批判したため、1979年に神学を教える資格をはく奪されました。以来、テュービンゲン大学エキュメニカル研究所所長として活動してきた学者です。
 本書は、キュンクが1982年から始めた「女性とキリスト教」研究の成果をまとめたものです。
キリスト教2000年の歴史を、①原始キリスト教、②初期教会、③中世教会、④宗教改革時代、⑤近代以降に区分し、各時代における思考の枠組み(パラダイム)の中で、教会が女性をどう見てきたかについて書いています。
 原始キリスト教の章で、イエスが男女の区別なく弟子として受け入れたことを記して、福音における女性の立場を明確にし、その後の教会が女性をどう扱ってきたかを追いかけていきます。
 イエスが去った後、ガラテヤ3:28にあるとおり、キリストにあっては男女の上下、優劣の違いはないとの画期的原理が保持されていたが、女性は教会では黙っていなさい(Ⅰコリ14:34以下)などの差別的発言も散見されます。使徒時代の教会にも見られる女性蔑視的な姿は、教会外における一般的習慣(ユダヤ的習慣も含めて)と共通したことだとしても、その後の教会が女性の差別的立場を神学的に強化し、固定化したことに大きな責任があります。特にアウグスティヌス(354-430)が西方キリスト教の女性観に決定的な悪影響を与えたこと、これを知らずに西洋の女性史は理解できません。
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2018年6月24日説教

説教タイトル:「わたしは去っていくが」
聖書箇所:ヨハネによる福音書  第16章4~15節


論 壇 『横浜の女性宣教師たち』 (No,25)
毎週水曜日の研修所「キリスト教と女性」の講座に出席している方から、『横浜の女性宣教師たち』(横浜プロテスタント史研究会編 有隣堂)が研修所に寄贈されました。
 横浜開港から戦後復興まで横浜に関係する女性宣教師をほぼ網羅する254名を収録し、その中の48名を記事にまとめています。
 日本宣教における女性宣教師の活躍はよく知られています。最初の23年間に来日した宣教師の127名が男性、186名が女性であり、その後も女性の数が男性を圧倒していったとのこと。ただし、宣教師と呼ばれていても、女性信徒が海外宣教に従事したのであり、教師の身分をえていたわけではありません。
「第一章 女性海外伝道協会の成立」に、アメリカで女性宣教師が大勢誕生した経緯がまとめられています。19世紀後半に、職住分離が進み、中産階級において、女性は家庭を守るべきことになる中で、教会は家庭以外にゆるされた活動空間になった。アメリカでは1810年に初めて5人の男性宣教師をインドに送って以来、宣教師をアジア、アフリカに送るようになる。帯同した妻たちは虐げられた現地女性の境遇を知るが、因習により男性宣教師には近づけないため、宣教師の妻たちが女性宣教師の派遣を本国に求めはじめる。1861年、超教派の「米国婦人一致外国伝道協会」が結成され、同年、ビルマに最初の女性宣教師が派遣された。その後、教派別のほうがよい活動ができるとの判断で、教派ごとの女性海外伝道協会が立ち上がり、女性宣教師派遣がいっそう盛んになっていった。
19世紀のアメリカは女子教育の重要性が叫ばれた時代であり、女子初中等教育機関が数多く作られるのと同時に、初中等教育機関における女性教師の数が増えていった。この女性教師の中から女性宣教師となるものが多数おり、現地での女子教育に積極的に取り組むことにもなった。これらが日本におけるミッション系女学校の設立と関係しています。

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2018年6月17日説教

説教タイトル:世があなたがたを憎む
聖書箇所:ヨハネによる福音書15:18-16:4

論壇 役員修養会報告
 6月12日(火)~14日(木)に、豊橋において大会役員修養会が行なわれ、今井と中島龍児長老が出席しました。テーマは「70周年以降課題検討Ⅱ」でした。
 1.三野孝一先生による基調講演がありました。改革派伝統を守るためには、受け継いだ神学を守るのではなく、聖書全体をきちんと学び、聖書に聴くことが何より大切であるということでした。
 2.70周年以降の重要課題は、教師の資質です。教師の不祥事が多いからです。それゆえ、「女性役員の惠と課題」、教会の中での「ハラスメント」(教師によるもの多数)、教師会における「教師の倫理的責任と成長」という教師に関する発題が複数ありました。
 ハラスメントとは、「ことばや行為などによって他人の人格や尊厳を傷つけること」です。牧会的配慮という名目で、恋愛、結婚、家庭に牧師がどれだけかかわることができるのかは、ひと昔前と状況が違っており、今後の重要な課題です。LGBTへの対応もハラスメントにかかわります。
 3.70周年課題検討委員会からは、小峯明教師と川杉安美教師による発題がありました。小峯教師の発題は主として、会計年度統一と財務関係に関することと、教勢の観点から東北と四国への伝道支援の方策に関すること。川杉教師は、80周年に向けての宣言作成の意義に関することでした。
 4.憲法第一委員会から、平和にかんする宣言を作成する準備として、『ベルハー信仰告白』についての解説がありました。べルハー信仰告白とは、南アフリカのアパルトヘイトに反対して作成された、人種差別に反対し、キリスト教世界における人種間の一致を求めたものです。わたしは、キリスト教世界の一致も必要ですが、他宗教との関係、あるいは平和的共存を考慮せずには平和について考えることはできないと思っています。人種差別は根絶していないにしても、その非人間性は認められています。宗教による分断は、世界を覆っています。
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2018年6月10日説教

説教タイトル:友のために命を捨てる
聖書箇所:ヨハネによる福音書15:1-17

論壇 存在することの意味
 『まじわり』5月号で東川口キリスト教会の後藤香代子長老、6月号でわたしが、セクシャルマイノリティ(LGBT)について、教会は偏見を持たずに受け入れましょうとの趣旨のことを書きました。これを読んでカンカンになった教師がいるようです。このような重要問題については、女性教師・長老問題のときのように、特別委員会を作り、時間をかけて結論を出すべきだとも主張しているようです。
 『まじわり』に書きましたが、該当者が4~8%の割合で存在するのであれば、生まれてくる契約の子の中に、この割合で当事者がいることになります。また、教会員や求道者など関係者にも、いないのではなく、いると考えるのが自然です。女性役員の場合には、認めなければ存在しないのですが、この問題では、すでに教会の大切な一員になっているのです。事実、『まじわり』を読んで、「自分の教会の中にいます」と後藤長老に声をかけてきた方がおられるとのことです。
 「認めない」とはどのような意味であり、当事者に対しどうしたいのでしょうか。わたしには考えようがありません。
 認識しようと、すまいと、この問題はすでに各個教会の課題になっています。どのようなかたちであれ当事者が現れたとき、当人や家族、教会員から、教師と小会は判断を求められます。教派が時間をかけて考えているので待ってください、などという猶予はありえません。教会権能をゆだねられている小会が責任をもって判断すべきであり、小会の判断が積み重なれば、教派としての方向性が決まっていきます。なお、LGBTについての今日の理解を知れば、不道徳の問題ではないのですから、当事者を前にして受け入れないということはできないでしょう。
 インターネットで「LGBT調査」を検索すると、さまざまな研究機関や団体の統計的な調査結果を見ることができます。
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2018年6月3日説教

説教タイトル:わたしはブドウの木
聖書箇所:ヨハネによる福音書15:1-10

論壇 違いはあっても
 先週木曜日の神学講座では、長田詠喜先生がカトリック教会とルター派教会が出した「義認の教理に関する共同宣言」を取り上げました。教文館から宣言の翻訳と解説を載せた同名の本が出版されています。
 宣言自身が、宗教改革は義認の教理をめぐる争いであったと書き、分裂の原因となった教理で一致できたことの意味は大きいことを強調しています。なお残されている問題として、「神の言葉と教会の教理との関係、教会論、教会における権威、教会の一致、職制、サクラメント、さらに義認と社会倫理の関係」があるとも書いていますが、これらについてどこまで一致できるのかはわかりません。
 それでも、分裂することによってキリスト教の純粋性を追求することから、一致点をもとに対立を克服することで本来のキリスト教の在り方を考えることへと変わりつつあります。
 では教派はどうなるのかという声が必ず上がるのですが、このことへと一足飛びに進まないほうがよいと思います。教派を考えることは、他教派の存在を前提とすることになります。特に日本の場合、外国からの多種多様な教派からの宣教師によって数え切れないほど多くの教派が誕生し、それぞれの歴史を抱えています。はっきりとした対立点があって分裂したカトリック教会とルター派教会との対話であれば、論点が明白であるゆえに、まだ協議に入りやすいのではないかと思います。両教会とも監督主義であることも協議に向いているといえます。
 教派の違いには制度上の違いもあり、教理とは別の困難があります。教派合同を考える前に、教派は別でも、違いはあっても、対立点があっても、同じキリスト教であること。見えない教会としてキリストをかしらとする一つの教会であることを正しく認識すること。これまで以上に違いを克服売ることに努めることが大切です。
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2018年5月27日説教

説教タイトル:わたしは平和を与える
聖書箇所  :ヨハネによる福音書第14章15~31節



論 壇 東方教会の分裂 (No,21)
西方教会は16世紀にカトリックとプロテスタントに分れました。東方教会は5世紀という西方より早い時期に、キリストの「二性一人格」の教理を確立する論争において、三つに分れました。東方正教会と、ネストリオス派(現在の東アッスリア教会)と、単性論派(アルメニア教会、シリア教会、コプト教会)です。
この論争をネストリオス論争と呼び、二性一人格の教理を表明するカルケドン信条(451年)により決着しました。「二性」の意味は、イエス・キリストは神が人となったお方なのだから、神性と人間性という二つの区別された本性を持つ。それゆえ、「まことの神であり、まことの人である」ということを意味します。
「一人格」は、「マリアから生まれたのは誰なのか、十字架にかかったのは誰なのか」との問いに対して、「神の永遠のみ子である」との答を出すための用語です。キリストは、神であり人であるが、二つの人格(主体)があるのではなく、一人格である。キリストが行ったこと、キリストに起ったことは、すべてみ子が行ったこと、み子に起ったことである。それゆえ、生まれたのも、死んだのも神のみ子である、これを表明するのが、「一人格」です。
このカルケドン信条を受け入れたのが今の東方正教会です。
ネストリオスは、二性の区別を強く主張したために、カルケドン信条ができる少し前の431年に断罪され、追放されました。しかし、カルケドン信条には二性の明確な区別が表明されており、ネストリオスはこの信条を承認したといわれます。
単性論派は、ネストリオスを断罪した正統派リーダーであるキュリロス(444没)に忠誠を尽くそうとして、カルケドン信条を拒否しました。キュリロスは、み子は受肉前も受肉後も同一であって、何の違いもないことを主張するため、み子に「単性」(一性)ということばを使いました。ところがカルケドンに神と人の「二性」ということばが入ったため、拒否したのです。誤解したといえます。キュリロスが存命であれば分裂はなかったように思えます。

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2018年5月20日説教

説教タイトル:生き方はいろいろ
聖書箇所:コリント信徒への手紙Ⅰ12:12-26

論壇 枠組みの違うキリスト教
 今年の研修所夜間神学講座において、わたしが担当する三回の講座で東方教会を取り上げています。東方教会について、わたしたちはあまり関心が無く、理解も不十分です。しかし、基本的枠組の違うキリスト教がある、ということを知ることも必要ではないかと考えました。
 というのは、『まじわり』2月号に書いたように、カトリックとルター派が、聖書が教える義認の教理において一致したというだけでなく、宗教改革時代にはじまる西方教会の分裂(カトリックからのプロテスタント諸教会の分裂)を人類にとっての負のできごととして捉え直し、他の教理や実践においてなお一致することを目指して協議を重ねているからです。これは、一致点を土台にして、相違を克服しようということなのですが、違いがあっても同じキリスト教であるということであれば、東方教会のことも合わせて考えたほうが分かりがよいと思ったからです。
 宗教改革は、分裂することをとおしてキリスト教のあるべき姿を追求したといえます。しかし、今は、一致する努力をとおしてキリスト教本来のあり方を探究することへとかわっています。ベクトルがひっくり返ったのですが、直接の当事者同士が和解したことによってこれがもたらされた、という点に意味があります。
 西方伝統にあるカトリックとプロテスタントは、キリストの救いを罪の償いと考えることで一致しています。アウグスティヌス的なキリスト教です。東方は、アウグスティヌスを受け入れず、キリストの救いを受肉による死からの解放に見ています。ただし、このような枠組の違いにもかかわらず、11世紀以降の敵対的分裂までは、互いに相容れないことがあっても、一つのキリスト教であるという意識を共有していました。
 違っていてもキリスト教として一体であることができたのはなぜか、このことを考える必要があります。
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